3日間に渡り訪問させて頂いた今回で7度目となる震災後の東北への訪問。
2日目はやはり泊めて頂いた蒲生さんのお宅の温かで美味しい食事を頂く所から始まりました。
私が食べ終わって直ぐに奥様は港での仕事に向かってしまいましたが、本当に今回も心も身体も温まりました!
昨年に引き続き心より感謝いたします!
そして初めて来た時に街を見下ろして驚きに震えた、陸前高田市高田第一中学校からの景色を改めて見ようと向かう事に致しました。
この場所は当初行った時に地元のボランティアの方から見る様に言われたポイントで街が全て見渡せる場所です。
途中、偶然にガレキにとまっている沢山のスズメを見かけました。 何だかとっても栄養が豊富に見えましたが元々が海の幸多き町なだけあり、彼等の栄養はタップリなのかも知れませんね。
そして当事マスコミ関係の中継車が沢山並んでいた陸前高田市高田第一中学校に到着した私は当時地元の方に教えて頂いた街が一望できるポイントを再び目指しました。
中継車がひしめいていた場所もテニスコートも沢山の仮設住宅に変わった為、一瞬道に迷いましたが松林の中に一本の道を見つけ久々に目的の場所に到着いたしました。
そこから見る景色は当事とは全く違い、かなり街が片付けられている事が解りました。
しかし、これは行政では無くボランティアの方々や町の方々の努力であると後で解る事となりました。
今でこそ掲載できる私が最初に見た時の街の様子です。
とても大変に見えますがこれでもかなりガレキが移動された後でした。
当事地元の方々の大きな避難所であり、ボランティアの受付でもあった高田第一中学校の現在の様子です。
当事のあわただしい雰囲気はもう感じる事が出来ませんが下駄箱の上の壁に「未来は私たちの手で創る」と言う力強い言葉が掲げられていました!
色々な意味が感じられ「私たちの中に自分も入れて下さい」と何故か思ってしまいました。
そして陸前高田市の数箇所を見て回ったあと、やはり震災当時から訪問をさせて頂いていた南三陸町に向かいました。
いつも手を合わせに寄らせて頂いている悲しい想いの防災庁舎には未だに沢山の方が花を手向けに来ているようです。
今回私が伺った時にも沢山の和尚さん達がバスで来てお経を上げておりました。
やはり最後の最後まで町民を守ろうと必死に頑張り切った方々への想いが未だに皆さんの心に強く残っているのでしょう。
しかし残念ながらこの南三陸町の復興はとても遅れている様に見えてしまいました。
街の中のガレキが他の大きな街と違い、未だに多く残されているのです。
この時点で私は「復興のスピードに差があるのは国が地方やボランティアに任せっぱなし!」だと言う事を感じました。
均等に復興への気遣いがされていれば街によって大きな差が出る事は無いと思うからです。
今回の訪問は7度目です。 自分はブログで国の対応の遅さを訴える事しか出来ませんがいつまで同じ様な記事を書けば良いのか悔しい思いもしています。
今回の選挙で新しい流れに時代が変わりそうですが、お金の使い道を間違えない政党として頑張って欲しいと思います。

いつも ブログを拝見しながら このような東北への地道な活動にいつもいつも 敬服してます。ご苦労様です!!!
私も 陸前高田に 昨年1度ボランティア経験以来いかずじまい。 後ろ髪を引かれながら inoさんの活動をブログで見ながら 頭が下がる想いの連続です。川井に 以前長く住みながら今 女房を川井に残 し長野に単身農業(トマト栽培)に励んでますが こちらから も陰ながら応援させてもらいます。
頑張ってください・・って他人事のような言葉ですが それでも・・と。
囲炉裏庵さんどうも!
遠い所より嬉しいコメントありがとうございます!
自分も第一回目には「とても大変なボランティアになるだろう・・・・・・」と思っておりましたが、
毎年自分のフォローすると決めた街に行き、普段は連絡を取ったりしていると距離が凄く近付き
全く行くのにも大変だと思えなくなって来ているんです。
それよりも、こんな自分のする小さな事でも喜んでくれる方々がいると思うと自然と責任感が
湧いてくるんです!
現地の方々もまるで親戚の様に温かく迎えてくれるので逆に行かないと気持ちが落ち着かない
感じがしています。
陰ながらの応援の言葉・・・・・本当に嬉しく思います!!
また自分が事業を企画した時にはほんの少しでOKですので力になって下さいね!
まだまだこれからも頑張って行きたいと思います。温かいコメント、本当に有難うございました!!