気が付けば2011年に地震と津波により日本に多大な被害をもたらした東日本大震災から今度の3月11日で13年目となろうとしております。
何度も言いますが被害に遭われた時にも厳しい冬なので「あれから何年」では無く「あの年も入れて14回目の厳しい冬」と言った方が現地の方々の大変さが解りやすいと思います。
私が皆様が被害に遭われた直後から現地入りしてバイクで色々な地域を回り連絡網を作りボランティアとして頑張らせて頂きましたが沢山の皆様にご協力を頂き「コツコツと被災地応援プロジェクト」として応援を始めさせて頂きましたが「まだ13年」とも「もう13年」とも両方に思えるのが不思議です。
きっと行く度にまだまだしっかっりと復興は終わっていない」と思う気持ちと「皆さんの様子がどんどんと変わって来ている」との二つの想いがあるからだと思います。
親父が福島県の出身でお袋が宮城県の出身である私は直後から現地の親戚と連絡が取れないという恐怖の時間を経験しましたが翌日の3月12日が誕生日である為に直後の誕生日から数年後まで思いっ切りハッピーバースデーの気持ちにはなれなかった記憶もあります。
その時に立ち上げた「コツコツと被災地応援プロジェクト」のボランティアでは東北全体を見てしまうと何をどこに送って良いのかも解らなかったので私の考えとして全国各地の方々にも自分の担当する一つの町や一軒のお宅に何が必要かを聞いてそのリクエストに応えれば効率が良いと考え「一人一町制」という方法を考えました。
私はまだまだ物資が皆さんに届いていない時にバイクで回り、その時にとてもお年寄りが多く寂しい雰囲気のしていた「陸前高田市広田町」のやがて50世帯の仮設住宅となった皆さんを地元や沢山の方々のご協力によりサポートをさせて頂きました。
そして現地のボランティアリーダーの皆様と連絡を取り、軽トラック2台(1台は高田中学校の皆様に気軽に使えるバイクと共に)や生活用品や食料品などをリクエストを聞きながら贈らせて頂いて来ましたが一度「50世帯のお年寄りの方々が電気毛布があったら嬉しいと言っています!」とリクエストを頂いた時には直ぐに全員の方々には厳しいと思いましたが皆さんにお願いをすると何と直ぐに52枚の新品の電気毛布が用意出来、贈らせて頂く事が出来たのです!(今も募集の時の依頼をサイドバーに残してありますが募集は終了しています!)
その後数年が経ち「今までありがとうございました。いつまでも甘えている訳にはいかないので」と自治会長さんに言って頂いてからは現地への物資などを贈ることは一度ストップとなりましたが私が地元自慢の「こたつみかん」を皆様に贈らせて頂き、仮設住宅から皆さんが新たなお住まいに移ってからは毎年ボランティアリーダーであった蒲生さんのところに色々なお礼の気持ちもあり贈らせて頂き、蒲生さんからは港町ならではの海の幸を送って頂いている関係が続いております!
今年も私が「こたつみかん」を贈らせて頂くと広田町からは地元自慢の三陸の海で採れた美味しいカキを贈って頂きました!
画像はそのカキを長男の奥さんが美味しいカキグラタンにしてお店に届けてくれたもの!!
まだまだ東北の方々の様子が心配ですが今後も現地の方々の応援はわずかながらでもさせて頂きたいと思っております。

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