恐ろしく長文ですし本当に今思うと恥ずかしい気もする内容ですのでバイク・レース好きな方と漫才が好きな方に読んで頂きたいです!
今となると本当に沢山のスペシャルライダーやドライバーが来店をしてくれる当社!
今回はここ数年の8耐で何度も優勝をし全日本でもチャンピオンに何度も輝いているあのヤマハR1や世界をアッと言わせたフロント2輪のスポーツバイクであるNIKENの開発ライダーである「とっきー」こと時永真選手!(いつでも全日本のレースに出れますのであえて選手!)が来店をしたことが切っ掛けの私の記事。
そのとっきーのご紹介は以前の記事を最後に貼りますが今回は何やらとっきーが私にLINEをして「見てみて下さい!」とニヤニヤ。
そしてLINEを見てビックリ!恐らく自分でも見なかったと思う1986年の激戦の鈴鹿サンデーオートバイレースの年間の表彰式のもの!
実は今でこそ国際A級(今の国際)ライダーになってはおりますが私のレース人生は「頑張れベアーズ」の様にハチャメチャでかなり激戦であった鈴鹿サンデーオートバイレースに「もう勝てない」と言われたバイクで参戦し0.7秒の予選落ちから始まっています。
そのマシンは全くレースの事を知らない私に「このマシンでも腕のある奴なら勝てる!」と言ったバイク屋のオヤジの言葉を信じローンで買ったバイクでしたがかなり台数がいるノービス125ccにエントリーをして見ると何と私を含めたったの2台・・・・もう一台は「このバイクが好きで何年も前から走っている」という方でこのスタートの出遅れがその後金欠となり目覚めた後に本当はホンダ「RS125の86年式」を買いたかったのですが新車では買えず何とか中古で「84年式のRS125」の購入をすることになったのです。
実はモトクロス上がりの自分ですが新たに84年式のRSになっても当時は一匹オオカミで全くセッテイング等を知らず雨の日にも固いままのサスペンションで走りテールスライドをしてカウンターを当てまくりながら走ったりしてしょっちゅう転びまくっておりました。(実は初めに着いていた雨用のタイヤがレースでは当時時代遅れのTT100GPでレーシングレインがあった事など全く知らずに走っていたのです!マジ!)
★125ccといえどもレーシングマシンは!→ https://www.youtube.com/watch?v=NZzafYmwUT4
(懐かしい画像でこの話の途中で登場をする斎藤明選手はチャンピオンを決めた年だし仲良しで今も遊びに来てくれている和歌山利宏さんは解説だし坂田選手のマシンは何とテクニカルスポーツだはで最高です!今現在の125ccのマシンはもっと速いです!!)
そして!RSになって初めてのレースに周りが86年式の何だか解らないけど一緒に走っていると速いRS125ばかりの中で84年式のマシンで走り雨の状況であった事もあり何と10番手で初予選通過出来たのです!
そこに私のバイクのタイヤを見て驚いた残念ながら予選落ちをした仲間が来て「なんちゅうタイヤで走っているんですか!僕のレーシングレインを使って下さい!」と言って初めて見る(マジなんです!)レース専用のレインタイヤを貸してくれたのです・・・・そしてバタバタの中で決勝がスタート。
すると・・・・スタートをして走る事しか考えず何も知らずにレーシングマシンに乗っていた私が何と前には誰もいないトップを走っておりました。
全く経験の無い前に誰もいない鈴鹿の西コースの広いストレートの光景に焦って「何?何?何かあったの?レース中断??」とビビッているとイエローカラーに全てが統一され黒のマグホイールを履いた86年式のマシンがインを刺して来ました!
レースが行われている事を確信した自分がいつもよりグリップの良いタイヤで必死でトップを負いましたがコーナーで追いつこうと何度も無理をしてスライドしている姿を見た実況の方の言葉を聞いたやはり「初の決勝となたチームの仲間達」は2位でも凄い事であったので「落とせ!落とせ!」と大騒ぎ!
あっと言う間の10周のレースでしたが奇跡!?のレース用レインタイヤのお陰で3位に30秒以上の差を付けて2位となったのです。
トップの美しいマシンと違い並べられた私のマシンは白のゲルコートのままのガムテープだらけ・・・・おまけにスクリーンは割れてしまった時にワイヤーで縫って直してあった悲しい姿。
表彰台でも首から掛けられた月桂樹(タイヤに装飾)を斜めでは無く真っ直ぐに掛けていたためトロフィーが上手く貰えず周りの方々に「斜め!斜め!」の大コールを受けてしまいました。
実はその時に私を見かねた!?凄い方から「うちで走るか?」と声を掛けて頂いたのですがレース界のシステムを知らない私は「自分で頑張ります」と言ってしまったのです。
それが何と世界耐久選手権や全日本選手権でも数々の優勝をしているサンデーオートバイレースを主催されていたテクニカルスポーツの藤井監督だったと後で解ったことを言うと今でも周りの仲間にはアホだと言われます。
まあ長々となってしまうのでここまで見て頂いた方々が今後のレース人生の中で「無知ほど怖いものは無い!」と参考にし頂けるであろうやはり最後の間抜けな話をさせて頂きます。
このとっきーが仲間達と見ていて偶然に見付けてくれた表彰式の張り紙は実は無知なライダーがあの鈴鹿サンデーオートバイレースを何とランキング2位で向かえチャンピオンの掛ったレースでまたまたどんくさい事をしてしまった結果なのです。
最終戦は天野潔選手の前に出ればチャンピオンであったのですがここでまたまた作戦ミス・・・・・
実は予選中にチームの仲間が走った後でタイムが出なかった場合にその方の86年モデルのエンジンとチャンバーを私のマシンに載せ替える作戦(当時はシンプルで車検もそこまで厳しくありませんでした!)を行う事になったのです。
(これは87年のスポーツ走行中)そして予選。初めての86年式のエンジンは乗り易くて速い!そう思いながら喜んでいると何と水温がドンドンと上がってしまいオーバーヒートで上手く走らなくなってしまったのです。
横をランキングトップの天野選手の黄色いバッチリと決まったマシンがこちらをチラリと見ながら抜いて行きました。
私は借りたエンジンを壊してはいけないと思いましたがラストの一周になり「壊れたら新品で弁償しよう!」と思い出来る限りの走りをしました。
結果は何とギリギリの36番手で予選通過・・・・実はドタバタとした中で本来はドライ用の10番のプラグを付けなければならないのになぜか熱を持ちやすい雨の時に使う9番が付いていたのです。
チャンスを自ら逃しまくり最後の最後まで色々と教えて頂ける方が周りにおらず「大チャンスを自ら断ってしまった無知ライダー」が最新のエンジンを積んだからと言ってチャンピオンに簡単になれる世界ではありません。
(これは87年のマシン!)決勝はフルコースと言う救いもありましたが自己ベストを更新しまくりながら追い上げ9位でゴール。
初戦で優勝した天野潔選手が無難に5位でゴールをしてチャンピオンとなり第2戦で優勝をした山田正浩選手が2位、そしてチャンピオンの天野選手に「86のチャンバー着いとったから怖かった!」と言って頂けた私が3位という事なのです。
ちなみに最終戦での優勝はその後国際A級125ccクラスの全日本チャンピオンにも輝き世界グランプリでランキング4位となった同い年のライバルである斎藤明選手でエントリーリストには世界耐久王に輝いた北川桂一選手や後に大活躍をする事になる選手の名前もある激戦の年であったことをお伝えします。
雑誌にもボロボロのマシンのまま紹介をして頂いたり途中で出場した鈴鹿4時間耐久レースでの私の走行中のとあるシーンが愛知県の特番の中で登場しそれが今度はプロ野球好プレー珍プレーの「色々なスポーツ選手が怒っている」シーンに「みのもんたさん」のナレーションで登場もしたりしてこの86年は私にとって情けない状況でしたがズッシリと思い出に残っている年なのです。
そして!その翌年には新型の87年モデルに乗る事が出来て一気にタイムアップ!ツナギもマシンもヘルメットも一新したのでした!!
とっきーのくれたLINEの張り紙。
当時の自分は全く見る気も無かったと思いますがお陰様で楽しかった「頑張れベアーズ」の奇跡とも言える時代を思い出させてくれました。
勿論!今現在は色々なスペシャルなレーサーや技術者の方々とも仲良くさせて頂き細かい部分もアドバイスやセッテイングが出来る国際A級ライダーとなっておりますのでご安心を!
★改めてとっきーこと「時永真」選手!→ https://ino.hamazo.tv/e9148507.html
(少し前の仲間とのシーン!)

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