私が震災後に車で入って行けない場所にバイクで回り物資の供給や連絡網を作ろうと始めた「コツコツと被災地応援プロジェクト」と言うボランティア。
時間のある方は東日本大震災によって困っている方々を応援しようと私の声掛けで地元の仲間と始めた内容を「被災地への応援! 東日本大震災 」や「コツコツと被災地応援プロジェクト 」のカテゴリーを見ていただければ解って頂けると思います。
そして「大きく被災地を見ても何をして良いか解らない!」となる方が多い中で「一人が一つの町や一件のお宅を見ていけばボランティアを行いやすいのではないか!?」と思い「一人一町制」と言うシステムを提案させて頂きました 。
そして私が色々な被災地を見た中で選んだのがこの陸前高田市広田町でした。
とてもお年寄りが多く大変そうだったこの町の力に少しでもなろうとその後に決めました。
それから「コツコツと被災地応援プロジェクト」として地元静岡の方や全国各地の仲間達の協力を頂き、軽トラック2台、バイク1台、新品の電気毛布52枚、その他にも沢山の物資をおくらせて頂く事ができました。
今では現地のボランティアリーダーの方と何でも聞いたり言えたりする仲にもなれ、自分としてのボランティアの思い通りの形になっています。
写真はその陸前高田市広田町から震災を記録に残す為に作ったと送られてきた記念誌。
「誰もが思い出したく無い出来事だろう」と思っていた私に初めて広田町から届いたお礼状の中に、自分達の町が津波に飲み込まれている瞬間を写した写真が入っていて驚いた事がありました。
「普通なら見たく無いのに……」と思っていた私はお礼状に「このシーンを見て悔しさと闘っていきます」と書かれていてより辛さが伝わった事を今でも忘れません。
その陸前高田市広田町のボランティアのリーダーの方から昨年の末に「そろそろ皆さんが仮設住宅から高台の家に移れそうなのでボランティアは大丈夫です」と言って頂きました。
勿論、まだまだ必要な事は沢山あると思いますが数年前にも自治会長の奥様から「あまり甘えてばかりいられない」と言う言葉を言って頂いていた私は「一先ず区切りを付けますが何かあったらまた言って下さい」と言って今後は違う地域の子供達の為に頑張ろうと思っています。
その時にはまた皆様に「コツコツと被災地応援プロジェクト」として協力をお願いすると思います。
最後になりますが実はボランティアリーダーの方に言われていた現状を伝えさせて頂きます。
仮設から高台の住宅に移る場合、余裕のある方々は自費で一戸建ての住宅を建てることが出来るのですが今まで自分の土地や建物が財産であったという方々は集合住宅に移ることになり更に家賃も発生するそうです。
小学生も仮設住宅でグラウンドが無くなっている為一度もグラウンドで遊ぶ事無く卒業をして行く児童がいると言う可哀相な事実も話してくれました。
近々また10回目のボランティアに伺わせて頂きますが「3月11日」だけでなく一年中被災地の皆さんの力になれる様に頑張りたいと思っています。
被災地に行った時の過去記事の一つです!→ http://ino.hamazo.tv/e5194763.html

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