先日皆さんからの救援物資を岩手県の普代村に往復1800キロの距離を走りっぱなしで届けに行って来たゆき~でさんが報告を兼ねて寄ってくれました。
この普代村には防波堤と水門があり「奇跡!」として色々な報道がされました!
偶然に村長さんにも会えたと言うゆき~でくんの話は行く前とは全く雰囲気が違うものとなっていました。
やはり初めに三陸の色々な町並みを見て驚いたそうなのですがあまりにも想像より現実離れしていて不思議な思いがしたそうです。
私も思いましたが家がほとんど建っていないで瓦礫だらけのためだんだんと瓦礫の山の中にいる感じがしてきちゃうんです。
建物が倒れたままだったり倒れ掛けた状態の方がきっと怖く見えたかも知れません・・・・・それほど一般の建物が無くなってしまっているんです。
先日私が二回目のボランティアに陸前高田市に行った時にスクーターを届けたのですが「次は何が希望?」と現地ボランティアで知り合った方に聞くと「そうですねぇ~真冬に備えて防寒のジャンパーとか・・・・・」と私が全く想像も出来ない物をリクエストしてくれました。
今回の震災は3月だったのですが一番寒いのは雪の積もる12月~2月位なのでしょうね。
外を出歩くとすると確かに必需品ですからね!
そんな話をゆき~でさんとしながら今後を考えた色々な話が出来ました!!
ちなみに高い津波に襲われながらも水門のおかげで亡くなられた方がいなかった「普代村の奇跡」のレポートを転載させて頂きます!
「これが公共事業だ! 死者ゼロ、住宅の被害もなし!!」
高さは共に15.5メートル。東北一の「防潮堤と水門」が村を救った。岩手・三陸海岸の北部にある普代(ふだい)村。漁業が盛んな人口約3000人の村だが、11日午後3時半すぎ、巨大な津波が襲いかかった。
「高台から見ていましたが、津波がものすごい勢いで港に押し寄せ、漁船や加工工場を一気にのみ込みました。バリバリという激しい音がして、防潮堤に激突。みな祈るように見ていましたが、波は1メートルほど乗り越えただけで、約1000世帯が住む集落までは来ませんでした」(普代村漁協・太田則彦氏)
津波が来る前に、港に船を見に行った男性が行方不明になっているが、防潮堤の内側にいた人の被害はゼロ。住宅への被害も一切なかった。高さ15.5メートル、全長130メートルの「防潮堤」が、村人の命を救ったのだ。村の北側には、同じ高さの水門(全長200メートル)があるが、こちらも川を勢いよく上ってきた津波をほぼはね返し、小学校を守ったという。
普代村の隣、田野畑村(人口約4000人)には、高さ8メートルの防潮堤が2つあるが、津波を抑えられず、死者・行方不明者40人、全半壊533戸の被害が出ている。“高さ15.5メートル”の防御力は絶大だが、なぜ普代村に2つも造られたのか?
「防潮堤は1970年に約6000万円(当時)をかけて造った。水門は35億円(同)で、84年に完成しました。普代村は1896年の明治三陸大津波で1010人の死者・行方不明者が出た。1933年の津波でも約600人が死傷しました。戦後、和村幸徳村長が『2度あることは3度あってはいかん』と県にひたすらお願いし、建設の運びとなった。かなりの費用がかかるので、当時は『他のことに使えばいいのに』『ここまでの高さは必要なの?』といった批判もたくさん受けましたよ(苦笑)。きっと今は天国でホッとされているのではないでしょうか」(村役場住民課・三船雄三氏)
村ではボロボロに壊れた漁港や養殖場の修復作業が進められているが、一方で、堤防に手を合わせたり、故・和村村長の墓に線香を供える人が絶えないという。
私達も参考にしなければならないこの話、本当に備えあれば憂いなしとはこの事ですね!!

「これが公共事業だ」という言葉が物語っていますね!
土木建築業界が公共事業が欲しいのは分かりますが
同じお金を使って作るなら誰だって、民のために本当に
役立つものを作ってほしい・作りたいと思うでしょう
年度末の予算消化であちこちをほじっている光景を
見ると虚しさと疑問と怒れてきますからね
この防潮堤・水門を作らせた和村村長さんはそういう観点
からすると本当に人々や村のことを考えた未来を予測できた
素晴らしい政治家であったと思います
政治家の役割の一つは人々(国民・県民・市民・町民・村民)の人命や財産をまもること・・・
それをどうみすえるかではないでしょうか
わけわからん特殊法人を乱立させてお金を流すより
こういう公共事業にお金をまわすべきです
想定外を連発する政治家は見習うべきですね
晋代村のみなさんご無事でなによりでした
レッツさんどうも!
本当に今回の地震と津波で色々な方々の防災に対する考え方が変わったと思いますね。
勿論現場に行った私とレッツさんもかなり行く前と考え方は変わったと思います。
頑張ってあげないと!と思ったりホッとする部分もあったりと不思議な感じもしますが間違いなく色々な方々にアドバイスが出来るようになった事は確かです。
今後も「備えあれば憂いなし!」の言葉を改めて実行して貰い、万が一の災害の時に近隣の皆さんが少しでも悲しい思いをしないように頑張って行きましょう!
普代村の方々の話はそんな中でとても生きると思っています!