「東日本大震災」の震災直後から地元の温かな皆さんのご協力を頂き被災地に2台の軽トラックをプレゼントしたり52枚の電気毛布を陸前高田市広田町の仮設住宅のお年寄りの方々に贈らせて頂いたり他にも沢山の救援物資や現地の皆さんに喜んで頂ける様に地元自慢の「こたつみかん」を今でも毎年贈らせて頂いております。
この度の東北被災地への訪問。
実際にこの国の復興への取り組みが本当に遅かった現状を何年も見て来た私は次回の3月で遂に10年目を向かえる現地の状況を自分の目で確認したかったのです。
九州でも地震による災害が発生しボランティアで行かせて頂いておりましたがやはり一番初めに目を疑うほどの壊滅的な状況となっていた東北の被災地が常に気になっております。
それは初めに直ぐに現地の凄まじい状況を見たり被害を受けてしまった沢山の方々と話が出来たり私が3月12日生まれでしばらく誕生日どころでは無く父が福島県出身で母が宮城県出身であることなどの全てが関係しているのかもしれませんが「どの様に復興をして行くのだろう・・・自分も出来る限り力になって行きたい!」としっかりと誓ったからでもあります。
今回の訪問で初日にと二日目の午前中に「福島第一原発」の原子炉の爆発により今でも色々な物の片付けや修復が終わっておらず住民の方々が未だに帰れない町の状況をガイガーカウンターを使用しながら行ける範囲で確認をさせて頂きました。
そして除染だけで無く色々な片付けをしなくてはならない事もハッキリと知る事が出来ました。
まだまだ見たのは氷山のほんの少しの一角でありますが、誰が見ても国は何兆円も出してイベントを行ったり戦闘機を買っている場合では無いと感じて頂けると思います。
「復興オリンピック」と言うなら元々綺麗な日本の競技場をあえて利用して頂き、今現在営業がされている宿泊施設を利用したりして色々な経費を節約させて貰いその分今や全国各地に広がってしまった被災地にお金を回してあげると言えば世界中の選手の皆さんもきっと気持ち良く協力をしてくれた事でしょう。
画像は二日目の行動のメインとなった宮城県南三陸町の今現在のキレイに塗り直された旧防災対策庁舎を含めた「南三陸町震災復興祈念公園」からのもの。
三枚目は震災前の画像で四枚目は今現在の今回私が撮影をしたほぼ同じ方向からの画像です。
この画像を撮影した「祈りの丘」と名付けられ海を眺める事の出来る高台の上には一番初めの「いま、碧き海に祈る 愛するあなた 安らかなれと」と文字が掘られた「名簿安置の碑」が置かれていました。
「祈りの丘」から海を眺めるととても穏やかな気持ちになれましたがやはり津波直後の光景が頭の中に浮かびこんなに小さな町なのに831名(内、行方不明者200人以上)の方々が犠牲になったと思うとまだまだ辛くなりますし、今現在も一戸建ての家が無い状況となってしまっている皆様が本当に多い事を思うとホッとしてばかりではいられないのです。
今回は南三陸町の他にも約4000人近い犠牲者(行方不明者約400名)が出てしまった石巻市なども訪問を致しました。
ちょうどお盆という事で色々なお寺には沢山の市民が集まっており「何かイベントかな?」と思ってしまうほど多くの方々を見掛けました。
やはり10年経った今も一見街中は普通に戻った様にも見えますがまだまだ「自分達は被災者では無い」と思える方々がかなり少ない事を忘れてはならないと感じました。
本当に多くの慰霊碑やお地蔵さんも多く見掛けましたが改めて犠牲者の方々の多さも知る事となりました。
今回はもう直ぐ10年になろうとしても見掛ける事の出来る津波による被害の大きな爪痕を掲載したりしませんがまだまだ「復興」には時間が掛かりそうだと感じました。
私が高校の後援会長の時に何とこの東北の被災地でのボランティアから戻り、ろくに寝ないで入学式に来賓として出席をさせて頂きましたが「ただ事では無い!」という光景を見た後の保護者の皆様へのご挨拶で「今後きっと日本は大変な時代になって行くと思われますので子供さん達には是非その事を伝えてあげて下さい」と言わせて頂きました。
悔しい事に「その通りの世の中」になって来ている気が致しますが今こそ自分達や家族を守る為に色々な勉強をしなくてはならないと改めて感じております。
★皆様のお陰で頑張れた活動 → https://ino.hamazo.tv/e8095950.html