今回の東北への出張は仕事は空振りに終わってしまいました。
しかし一つ前の記事にも書いた様に偶然にも地元の皆さんの熱い原発へのデモへ参加をさせて頂いたり仙台のお爺ちゃんのお寺(母方の実家)にお墓参りに行ったり、更には私が小さな頃に鳩を踏んずけてしまったと言う思い出の竹駒神社にお参りにも行って来ました。
そしてその宮城県岩沼市にあるやはり津波で大きな被害を受けてしまった仙台空港やその近隣のその後を確認にも行きました。
ここ岩沼市はあとで知って驚いたのですが(私は直後から岩手の小さな街をフォローさせて頂いていました)、我が静岡県袋井市が復興を手伝わせて頂いていた街でもあり、まさかと思いとても嬉しかった記憶があります。
岩沼市の当時の市長の井口さん(今年の任期をむかえ引退)や井口さんのお父様と我が自慢の当時96歳であったスーパーお爺ちゃんともとても深い関わりがあったことでも更に驚きました!
そんな岩沼市の被災現場に何度も足を運んでいる私は新たに作られた防波堤やほぼ無くなった車やガレキなどに岩沼市のしっかりとした対応を見ることが出来ました。
ところがこの大きなお宅はいつまでも解体される事無く残っており、「持ち主の方はまだ建て直しを考えているのか?」と何度も来るたびに思っておりました。
今回も半ば寂しい思いでこのお宅に近付いてみると何やら今までと違う様子・・・・・車を停めた私に小さなテーブルの様なものが目に入ったのです。
その様子がこの写真でも解ると思いますが元々この家の持ち主は鈴木英二さんと言う方。
実は鈴木英二さんも外出中に地震が起こり急いでこの家に一度戻ったらしいのです。
橋は落ち、道路が陥没をした中で自宅に戻ったのですがその後に海から800メートル離れた仕事場に戻って片付けをしていたところ何と10メートルの松の木をなぎ倒し乗り越えて来る津波を発見・・・・・・
その後、津波に追われながら逃げる鈴木さんはあと100メートルのところで近くの仙台空港の外階段を上がりギリギリで避難が出来たそうです。
そんな様子もこのパネルの上の写真や文面で知ることが出来ましたが、元々この家の持ち主である鈴木英二さんが震災の様子をいつまでも後世に伝える為に「震災遺構」としてこの家を残していたのです。
そして津波に襲われた写真や航空写真などで「その時」の状況も紹介がされているのですが私が一番驚いたのが元々の鈴木さんのお宅の写真。
現在の状況とのギャップの大きさがより一層津波の怖さを教えてくれる感じが致しました。
今では鈴木さんのお宅と塩水で枯れ果てた松の木しか辺りに見当たらないこの場所には元々109の世帯に約400名の住民が住んでいたそうです。
何度もこの地を訪れた私ですが、この地に乗馬クラブや市民プールもあった事を今回の展示されている資料のお陰で知ることが出来ました。
いつまでも残されていた家はあえて残されていた家であり、県庁前のデモと共に被害にあってしまった方々が今回の出来事をいつまでも忘れないで欲しいと言う気持ちを改めて感じた今回の訪問となりました。

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