昨日、私達の住む隣の街の磐田市豊田町池田にある熊野寺に行って来ました!
毎年 藤の花が寺一面に垂れ下がりとても綺麗な「熊野の長藤」を見る為に行くのですが混雑のする日曜日にはあまり行きませんでした。
実はここにはとても悲しいような美しいような物語があり、綺麗な藤の花を静かに見たいからだったのです。(物語は最後に!)
しかし今回日曜日に行って解ったのですがちょうど「熊野の長藤祭り」と言う事でお祭りの真っ最中!山車(遠州横須賀のお祭りの祢里と同じ一本柱で最上部には熊野をイメージした人形が!)を引き回しながらのお囃子も聞け、出店も出ていてとても楽しい雰囲気でした!
元々祭り好きの単純な私は「こんな感じも悪くない!」といつもとは違った気持ちで藤の花を見物させて頂きました!
今年はとても綺麗に咲き背の高い方は腰が痛くなるかも知れませんので行く方は気を付けて頂きたいですね!(笑)
こんな冗談が言えるほど縦に見事に咲き誇っている「熊野の長藤」。
見たい方は今が一番綺麗だと思いますので急いで頂きたいと思います!
☆「熊野の長藤」のいわれは母と一緒に奉られている熊野と言うお母さん孝行の娘さんの名前からなんですが私の聞いた中での話しをさせて頂きます。
約800年程前に熊野と言うとても素晴らしい皆のお手本にもなる様な女性がこの地にいたそうです。
そしてその噂を聞いた京の将軍からの再三の熱烈な誘いがあり断れず都に行く事になりました。見初められたんでしょうね。
優秀な熊野はやがて皆から慕われながらとても偉い地位の女性となって行ったのです。大奥みたいな感じでしょうか?
そんなある日、遠く離れた故郷の母の病を手紙で知る事になりました。毎日心配でしかたない熊野は母に会いたくて故郷に帰りたいと将軍様に言ったのですが許して貰う事が出来なかったんです・・・・そういう時代だったんでしょうね。
しかし無理やり連れられて行った花見で「いかにせむ都の春も惜しけれど、なれし東の花やちるらん」というせつない想いの熊野の一首の歌にさすがの将軍様も読んだところ心をうたれ熊野に帰郷を許したそうです。
そして池田の地に戻り病の母と念願の再会が出来た訳です。お母さんも熊野に会えた嬉しさとその後の看病によりどんどん回復に向かい最後には完治したそうです。
当然その後、都から将軍様から何度も戻る様に手紙が来るのですが熊野はたとえ平凡でも大好きな母との時間を優先してこの地で暮らし三十三歳でこの世を去ったそうです。
私もいつも熊野の長藤を見に行く度にこの話を思い出し「熊野ってどんな人だったんだろう・・・・」と思いながら毎年樹齢約800年と言われる藤の木を見ながらお墓の前で手を合わせて来ます。